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ロボット分野で勉強したことのまとめ

短編小説『コオロギの安息地』


はじめに

音楽について、あるいは、壁について述べる。


私の歩き方

ゆっくり、ゆっくりと、二次元平面上を這って進む場合、どこまで行くのが正解か。 たとえば、東京タワーを目指して進むとしたら、私は何者だと推定されるだろうか。 満足を知らず、ただ座って、誰かが何かを与えてくれることを待っているだけの私に、放課後の夕暮れは厳し過ぎるだろう。 それでも私は、あえて東を向いてみる。 レンガ造りの古びた赤い屋根の家と市営のプールを横切って、砂利道を一時間ほど進む。 母は「もっとゆっくりしていきなさい」と私を叱ったが、私に答える術は無かった。

森に入ると、街の喧騒は遠のき、少しだけ穏やかな気持ちになれた。 もちろん後悔はしたが、本当のことだけを胸にしまっておくことが最優先だと私は考えていた。 そして、雨は止みそうになかった。 私は諦めて木陰に座った。 空には淡く輝く太陽が浮かんでいて、私の心を支配していた。 それは呪縛と呼んでも差し支えなく、太陽と月の関係を悟ることもできないのだった。

私の隣に腰掛けた黒髪の少女はどこか儚げだった。 少女はもう動かないノートパソコンを傘にして、雨を凌いでいるようだったが、 それにしては綺麗な顔をしていた。 腰まで伸ばした少女の黒髪は、触ると消えてしまいそうなほど煌めていて、その美しさに私はしばらく見惚れてしまった。

「どうすればいいと思う? 答えはオレンジとオレンジの間にあるはずなんだけど、いくら探しても見つからないの……」

どうやら少女は困っているようだった。

私はあまり気乗りはしなかったが、自分の理解できる範囲で答えることにした。

「雨が止まないことにはどうしようもないよ。もしくはタクシーを呼ぶとか」

「タクシーはダメ! これ以上、私の畑を荒らさないで!」

私はタクシーの有用性について論じたいわけではなかった。 だからこそ、昨日の夜に観た映画の続きが気になってしまったのだ。 少女が畑を荒らされることを嫌うなら、私にはどうしようもないことであり、 昨日の夜に観た映画の続きこそ、正解に最も近いのだろうと予想できた。

私は少女に語りかけた。

「もう寝よう。疲れているんだ、私も、君も。少し眠ってしまえば、雨はきっと止む」

少女は頷き、木の幹に背を預け、眠った。 深い深い眠りだった。


心拍の上限

波は波を生み出し、心地よい風はすでに失われてしまった。 正常な判断を目指していた私の頭上を、コンパスが襲い狂う。 黙っているだけで済む段階はとうに過ぎ去っていることを忘れてはいけない。 落ち着け、落ち着けと、囁きかける天使諸君と一緒に、 どうにか許される条件は満たしつつあった。 そして、雨は止んでいない。

少女は目を覚ますと、木の枝を使って、地面に絵を描いた。 それはライオンがキリンを捕食している瞬間を切り取った絵だった。 獰猛なライオンと小粋なキリンの曖昧さがうまく表現されていて、私は感嘆の声を上げた。 相変わらずの雨はひどく悲しそうに世界を濡らしていた。

私は一心不乱に絵を描き続けている少女に向かって尋ねた。

「どう? 答えは見つかりそうかい? 雨は止んでいないけれど、どうにかなるんだったら、私も協力するよ」

少女は手を止めて顔を上げると、私を見つめた。 少女の瞳はコオロギのように真っ暗で、何も映していないように思えた。 そして、少女は何かを言葉として発しようとして、すぐにやめた。 頭の中から言葉を探して、口から発しようとして、やめた。 それを何度も何度も繰り返した。 その行動は少女に似つかわしくなかった。

しばらくしてから、少女は答えた。

「……たぶん、答えはオレンジとオレンジの間にあると思うの。申し訳ないんだけど、代わりに探してきてくれない?」

私は少し考えてから「分かった。探してみるよ」と返答した。 本当なら面倒事は避けたかったのだが、少女の頼みとあっては断るわけにはいかなかったのだ。 しかし、少女が見つけられないものを私が見つけられるとは到底思えない。 もちろん、その存在を否定したいわけではない。 少女を否定したいわけではない。 私は、探している答えがオレンジとオレンジの間にあるという妄想を否定したいのだ。

少女は木の枝を捨てると、濡れた地面に横たわった。 そして、ゆっくりと目を瞑った。 私は横たわった少女のほうへと歩み寄った。 そのまま少女を見下ろす。 白い肌は鋭く雨を反射して、ツヤのある黒髪は十二分に透き通っていた。 雨に濡れる少女はとても美しく、そのまま永遠に眠ってくれれば、私の苦労の半分は消失してしまうだろうと予想できたくらいだ。

私は横たわっている少女に囁いた。

「それじゃあ、君の世界を見せてもらうよ……本当にオレンジとオレンジの間に答えはあるんだね?」

少女は目を瞑ったまま答えた。

「そうよ。きっとあるわ。見つけたらすぐに教えてちょうだい。すぐによ」

私は小さく頷くと、少女の頭にそっと触れた。 そして、少女の世界に入り込んだ。


方向の行方

問いは必ず答えを導く。 壁も天井も無いこの国において、もっとも重要なことは叫ぶことだった。 それを教えてくれたのは見知らぬ旅人だったが、 あまり記憶は定かではない。 しかし、雨は降っていなかったはずだ。 いずれにしても、あらゆる可能性について言及することは悪いことではないし、 聞く耳を持たない人間の席を用意する必要もない。

「冷たい篝火、そこに佇む騎士、それらが答えだ」

私は少女にそう伝えた。 オレンジとオレンジの間にあったのはその二つだけだった。 本当に答えが見つかるとは思ってもみなかったが、 そんなことよりも、私は成長を感じていた。 太陽はすでに頭上高く昇り、私たちを追い越していた。 少女の答えはすぐそばにあったのだ。 間に合うかどうかなど問題ではなく、 間に合わせることに意味があるだけなのだと分かったのは、それから二年後のことだった。

少女は泣いていた。 美しい瞳から、美しい雫が零れ落ちて、地面を濡らした。 私は少女に何一つ言葉をかけてあげられなかったし、 少女も言葉を必要としていなかった。 私は満足を知り、優しさに触れた。 おそらく少女も同じだろう。 つまり、その点においては、私と少女は等しい存在だと言える。

少女は涙を拭いてから言った。

「ありがとう。これで安心して朝を迎えられるわ。 無意味で無価値な長い夜が終わって、また始まるわけだけれど……ねえ、もしよかったら、あなたも一緒にどう?」

私は少し考えるフリをしてから答えた。

「……遠慮しておくよ。君の邪魔はしたくないし、他に用事もあるから。それに君はひとりのほうがいい。君は答えを見つけてしまったんだから」

いつの間にか、雨は止んでいた。


おわりに

十分な約束を求める。


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